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原爆ドームはなぜ倒れなかった?建築構造から見る残った理由【広島の建築物解説】

原爆ドームはなぜ倒れなかった?建築構造から見る残った理由【広島の建築物解説】

●結論
原爆ドームは原爆の爆風に「耐えて無傷で残った」のではありません。爆心地から約160mで大破・全焼しましたが、爆風がほぼ上方から作用したこと、厚い側面の壁や一部の鉄骨を持つ構造だったことなどが重なり、建物の一部が倒壊を免れました。

●この記事でわかること
・原爆ドームが爆心地からどれほど近かったのか
・なぜ爆風が「ほぼ上方から」作用したのか
・どの構造部分が残り、なぜ残ったのか
・煉瓦・鉄骨・屋根など材料の違いがどう関係したのか

原爆ドームはもともとどんな建物だった?


現在は「原爆ドーム」と呼ばれていますが、もともとの名前は広島県物産陳列館でした。

1915年、チェコ人建築家ヤン・レツルの設計によって完成し、広島県の物産品を展示・販売する施設として使われていました。その後、名称が広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館へと変わっています。

当時としては特徴的な西洋風の建築で、中央に楕円形の階段室があり、その上にドームが載る構成でした。

全体は窓の多い3階建てですが、中央部分の階段室は5階建て。その上にドームが設けられていました。

構造は、一部に鉄骨を使用した煉瓦造。

外装には石材やモルタル、内壁の大部分には漆喰が使われた複数の材料と構造が組み合わさった建築物でした。

そして、この異なる材料・構造の組み合わせが、被爆後の残り方を見るうえでも重要になります。

原爆ドームは爆心地から約160mだった


原爆は原爆ドームから南東約160m、高度約600m付近で炸裂しました。広島市の資料では、周辺の建物は爆風と熱線によって大破・全焼したとされています。

原爆ドームは、まさに極めて強い爆風や熱線を受ける場所にありました。

では、なぜ現在のような姿が残ったのでしょうか。

原爆ドームが残った最大のポイントは「爆風がほぼ上方から作用したこと」


原爆ドームが倒壊を免れた理由を考えるうえで、最も重要なポイントの一つが爆風の方向です。

原爆は地上ではなく、原爆ドームの南東約160m、高度約600m付近で炸裂しました。

そのため、原爆ドームには爆風がほぼ上方から作用しました。

建物は「どれだけ強い力を受けたか」だけでなく、「どの方向から力を受けたか」によっても壊れ方が変わります。

たとえば、壁を真横から強く押せば、壁を外側へ倒そうとする力が働きます。

一方、建物に対して上方から力が加われば、建物を押しつぶす方向に力が働きます。

実際の爆風はこのような単純な力ではありませんが、原爆ドームでは爆風がほぼ垂直に作用したことで、側面の壁を横方向から一気に倒すような状況とは異なりました。

その結果、上部が大きく失われても、厚い側面の壁などが倒壊を免れることにつながりました。

原爆ドームで実際に残った部分はどこ?

では、具体的にどこが残ったのでしょうか。

現在の原爆ドームを建築物として見ると、大きく注目したいのが、

側面の壁、中央部の構造体、そしてドーム部分の鉄骨

です。

もちろん、これらも被爆前の状態を完全に保っているわけではありません。

しかし、それぞれが異なる形で残ったことで、現在の特徴的な外観が生まれました。

厚い側面の壁|「横から倒されなかった」ことが大きい


原爆ドームを見たとき、最も分かりやすく残っているのが、周囲の煉瓦造の壁です。

広島市によると、屋根やドーム部分は鉄骨部分を除いて多くが木材で作られていた一方、側面の壁は厚く作られていました。

そのため、ほぼ真上から作用した爆風によって屋根などが大きく破壊されても、側面の壁は完全には押しつぶされず、倒壊を免れました。

中央部・ドームの鉄骨|建物の中心が倒壊を免れた


原爆ドームの中央部が残った理由は、単に「上からの力に耐えた」からだけではありません。建物の中心には階段室を含む比較的まとまりのある構造があり、周囲の壁や床とつながりながら建物全体を支える役割を担っていました。

一方で、屋根や上部の構造は大きく失われたため、建物全体にかかっていた荷重そのものが減少しました。上部がなくなったことで、残った中央部や壁にかかる負担も小さくなり、すべてが一体となって崩れ落ちる状態を避けたと考えられます。

広島市の専門家会議でも、上部が破壊されて建物のほとんどが1階程度しか残っていないことから、荷重が少なくなっていることが、現在も倒れずに残っている理由の一つとして説明されています。

原爆ドームは「強い建物」だったのか?

ここで、一つの誤解を整理しておきましょう。

原爆ドームが残ったからといって、現在の原爆ドームが「非常に頑丈な建物」というわけではありません。

むしろ、保存工事の記録を見ると、現在残っている構造体は水平の力に弱いことが分かっています。

広島市によれば、原爆ドームは壁が高く、床盤など水平に対するつなぎ材が少ないため、水平外力に弱い構造でした。

そこで1967年の第1回保存工事では、台風や地震などに備えるための補強鉄骨が設置されています。

つまり、

原爆に耐えられるほど強い建物だったから残った

という説明は適切ではありません。

重要なのは、当時の建物に加わった力の方向と、建物の構造が偶然にも組み合わさったことです。

ほかの被爆建物と比べると「残った理由」がさらに分かる

原爆ドームだけを見ると、「あの建物だけが特殊だった」と感じるかもしれません。

しかし、広島には現在も複数の被爆建物が残されています。

広島市の被爆建物リストには、原爆ドームのほか、平和記念公園レストハウス、旧日本銀行広島支店、本川小学校平和資料館、袋町小学校平和資料館などが掲載されています。

平和記念公園レストハウスは約170mでも残った


平和記念公園レストハウスの前身である燃料会館は、爆心地から約170m。

原爆ドームとほぼ同じ距離です。

こちらは鉄筋コンクリート造で、原爆によって屋根が大破し、内部も破壊・炎上しましたが、地下室にいた1人が生存しました。

この建物が残ったことからも、爆心地からの距離だけで建物の残り方は決まりません。

建物の構造や材料、開口部、位置関係などが違えば、同じような距離でも被害の受け方は変わります。

旧日本銀行広島支店は約380mで「別の残り方」をした


旧日本銀行広島支店は爆心地から約380m。

原爆ドームより200m以上離れていますが、この建物も被爆後に残りました。

しかも、残り方が原爆ドームとは違います。

旧日本銀行広島支店は堅牢な建物で、被爆時に1階・2階のよろい戸が閉じていたため内部の大破を免れました。一方、3階はよろい戸が開いていたため、全焼しています。

ここから分かるのは、「残った建物」でも、その理由は一つではないということです。

現在の原爆ドームは「残っただけ」ではない

もう一つ重要なのが、現在の原爆ドームは被爆直後のまま何もせず放置されているわけではない、ということです。

戦後しばらくは被爆後の状態がほぼそのまま維持されていましたが、時間が経つにつれて壁の亀裂や小規模な崩落・落下が発生しました。

そこで1965年に強度調査が行われ、1967年に第1回保存工事が実施されました。

その後も保存工事は続き、現在までに5度の保存工事が行われています。

内容は、単に建物を「強くする」だけではありません。

亀裂の接着、補強鉄骨、防錆塗装、煉瓦目地の補修、雨水対策、地震対策など、残っている建物をできるだけ変えずに維持するための工事が行われています。

特に重要なのが、補強しすぎないことです。

原爆ドームは「新しい建物として復元する」ことを目的としているわけではありません。

被爆した当時の姿をできるだけ残すことに価値があります。

そのため、保存工事では必要な補強を行いながらも、外観などへの影響をできるだけ抑える考え方が取られています。

よくある質問(FAQ)

原爆ドームはなぜ倒れなかったのですか?

原爆ドームは無傷で残ったわけではなく、大破・全焼しています。そのうえで、原爆が高度約600m付近で炸裂したため爆風がほぼ上方から作用し、厚く作られていた側面の壁などが完全には押しつぶされず、倒壊を免れたことが大きな理由とされています。

原爆ドームは鉄筋コンクリート造ですか?

原爆ドームの前身である広島県物産陳列館は、一部に鉄骨を使用した煉瓦造の建物でした。3階建てを基本とし、中央の階段室部分は5階建て、その上に鉄骨を使ったドームが設けられていました。

原爆ドームは「頑丈だったから」残ったのですか?

それだけでは説明できません。爆心地との位置関係、爆風がほぼ上方から作用したこと、厚い側面の壁や建物の構造など、複数の条件が重なって一部が倒壊を免れました。現在の構造は水平外力に弱く、保存工事でも地震や台風に備えた補強が行われています。

原爆ドーム以外にも近くで残った建物はありますか?

あります。たとえば平和記念公園レストハウスは爆心地から約170m、旧日本銀行広島支店は約380mの位置にあり、現在も被爆建物として残っています。構造や被害の受け方はそれぞれ異なり、建物が残る条件を比較することができます。

現在の原爆ドームは被爆したまま放置されているのですか?

いいえ。被爆後の姿をできるだけ変えないことを基本に、保存工事が続けられています。1967年の第1回保存工事以降、亀裂の補修、補強鉄骨、防錆、雨水対策、地震対策などが行われ、現在までに5度の保存工事が実施されています。

まとめ|原爆ドームが残ったのは「強かったから」だけではない

原爆ドームは、爆心地から約160mという極めて近い場所で被爆しました。

それでも現在までその姿が残っているのは、一つの理由だけではありません。

原爆が高度約600m付近で炸裂したことで、爆風が原爆ドームにはほぼ上方から作用しました。

その結果、屋根など上部は大きな被害を受けた一方、厚く作られた側面の壁などは完全には押しつぶされず、倒壊を免れました。

また、建物は一部鉄骨を使用した煉瓦造で、中央には階段室、その上には特徴的なドームが設けられていました。

異なる材料と構造を持っていたため、それぞれが同じように失われるのではなく、鉄骨や壁など一部の構造体が残りました。

さらに、上部の大部分が失われたことで、残った構造体が支える荷重が小さくなったことも、現在まで倒壊せずに残っている理由の一つとされています。

つまり、原爆ドームは、

「強かったから残った」のではなく、爆風の方向と建物の構造、材料、残った部分の状態など、複数の条件が重なって倒壊を免れた。

そう考えると、現在目の前にある壁や鉄骨の一つひとつが、単なる「残骸」ではなく、建物がどのような力を受け、どのように残ったのかを伝えるものとして見えてきます。

そして、その残った姿を現在まで維持しているのが保存技術です。

原爆ドームは1996年に世界文化遺産に登録され、2025年には国の特別史跡にも指定されました。現在も被爆当時の姿をできるだけ変えないという考え方のもと、専門家による調査や保存工事が続けられています。

建物を見るとき、「なぜこの形なのか」「なぜこの材料なのか」「どの方向から力が加わるのか」と考えてみる。

そんな建築的な視点を持つと、歴史的な建造物はさらに違った表情を見せてくれます。

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企画・編集:日本工科大学校 広報チーム 本記事は、日本工科大学校が運営する情報発信コンテンツとして制作しています。 建設・建築・土木・造園・大工分野、自動車整備分野、AI・IT分野を中心に、学生・高校生・保護者の皆さまへ向けて、技術や業界動向、分野にまつわる身近な疑問について分かりやすく解説しています。 掲載内容は公開時点の情報に基づいており、技術の進展や制度変更などに応じて更新する場合があります。